ちくわぶ大将軍の「140字じゃ言い切れない事柄」

ここに綴られてるのは、単なる田舎者のコンプレックスです。

ドナルド・トランプと橋下徹

毎度おさわがせのドナルド・トランプが、大統領就任早々やらかしてくれました。

www3.nhk.or.jp

大統領に就任すれば、少しはまともになるだろうという予想を豪快にぶち破ってくれた、そんなトランプ兄貴に当然ながら、世界中から非難轟々。

その非難は真っ当なものではあるのだが、自分を大統領にしてくれた支持者のニーズを忠実に遂行しているトランプには蛙の面に小便だろう。

良識的リベラル派の批判の数々も彼の前には無力だ。

なぜドナルド・トランプはかくも強いのか?

それは、彼が「階層」を利用しているからである。

彼は自分を批判するメディアやリベラル良識派を、打倒すべきエスタブリッシュメント既得権益層)と位置づけ、彼らからの批判を「自らの既得権を墨守するエスタブリッシュメントからの攻撃」とし、自らをそれらと対峙する被抑圧者達の代表であると喧伝し、支持者を沸き立たせる。

それが彼の戦術である。

そしてまずい事に、批判者達はその図式を裏付けるかのように、トランプ支持者を蔑む言動を繰り返した。

ヒラリー・クリントンの「Deplorables」発言などはその最たるものだろう。

こういう政治手法、どこかで見たことがあるなと思ったら、そう、あの元大阪府知事大阪市長橋下徹のそれと極めて似ているのだ。

かつて彼が文楽を批判した時に、「良識派」から「橋下は文楽の伝統的価値を理解出来ない馬鹿」的な非難が噴出したが、この手の非難はむしろ橋下を喜ばせただけであった。

本当にトランプ政権を倒したいのならば、支持者達に憎悪の言葉を浴びせるのではなく、自陣営に包摂する方策を思案した方が得策だと思うのだが、如何?

 

日本のデモ考

www.huffingtonpost.jp

これは必ずしも左翼のデモに限った話じゃないんだけど、日本のデモって、「行動」「参加」にばかり意義を見出そうとして、最も肝心なはずの「結果」をなおざりにし過ぎてるように感じる。

個人的には、別にセンター試験の日にデモを敢行しても構わないと思うし、デモの騒音が実際に受験生にどれだけ負担を掛けてるのか分からん所がある。

ただ、センター試験の日にわざわざデモを敢行する事が世間にどういう風に受け取られるかについて、デモの主催者側はもう少し慎重になっても良いのではないか?とは思う。

デモというのは、あくまで世論を喚起するために行われるものであり、いくらデモの目的に正当性が認められるとしても、方法の稚拙さから世論の反発を買ったのでは元も子もない。

デモを敢行するならば、政治的効果を勘案した上で敢行しなければ、単なる参加者の自己満足で終わるだろう。

トランプに塩を贈るヒラリー支持者

www.bbc.com

アメリカの女優、メリル・ストリープゴールデングローブ賞の授賞式で、次期大統領に決まったドナルド・トランプを痛烈に批判して話題になっている。

有名人が大好きな本邦のリベラル面達は、案の定メリル・ストリープを大絶賛、実に分かり易い連中である。

大統領選挙では、レディ・ガガアリアナ・グランデボン・ジョヴィと言った錚々たるスターが結集してヒラリー・クリントンをテコ入れしたにも関わらずトランプ如きに敗れた事を鑑みれば、この大女優によるトランプ批判スピーチも味方を鼓舞する効果はあっても、トランプに投票した層には届かないだろう。

しかも、引用記事では言及されてないが、メリル・ストリープさん、この演説で「アメフトと総合格闘技は芸術ではない」揶揄したそうな。

余計な事を言って、わざわざ作らなくても良い敵を作るのは本邦のリベラル面のお家芸だとばかり思っていたが、海の向こうのリベラル面も同様らしい。

トランプ陣営は、大統領選挙を「階級闘争」と位置付けたが、ヒラリー支持者は何故その位置付けを補強するような事ばかり言ったりやったりするのか理解に苦しむ。

「階層」に寄りかかったトランプ批判は、トランプ陣営にとってはむしろ好都合である事をいい加減、学んだ方がいい。

朝日新聞のいつものポエムにケチを付けてみた

新年早々、朝日新聞がまたやらかしてツイッターで集中砲火を浴びている。

で、これが当該記事。

digital.asahi.com

自分達の立場を棚上げして大上段から「愚民」にご高説を垂れる、毎度お馴染みの「朝日しぐさ」である。

ゼロ成長云々については、あっちこっちで批判されつくされてるんで、ここではやらないが、敢えて一つだけ指摘しとく。

実は、いまのような経済成長の歴史が始まったのは200年前にすぎない。長い人類史のなかでは、ほんの最近だ。

 この記者さんは、経済成長なんて人類史の中でつい最近の事に過ぎないんだから大した事ではない、と言いたいのかも知れんが、スパンの長短を基準にするんだったら、朝日新聞が大好きな民主主義の歴史だって、長い人類史から見ればほんの最近の事なんだから、民主主義なんて大した事ではない、という事になっちまうと思うのだが。

「この世界の片隅に」を観て

こうの史代さんの人気漫画「この世界の片隅に」がアニメ映画化された。

ネット上でも賛美一色で、2016年のメガヒット邦画「シン・ゴジラ」や「君の名は」でさえ批判的意見が散見されたのに、些か気味の悪さを感じないでも無かったが、自分も流行り物に弱い質なんで、去年の暮れに隙を縫って観に行った。

で、感想。

正直に言うと、観る前は主に朝日新聞を始めリベラルと目される人たちが絶賛していたんで、毎度お馴染みの反戦メッセージが織り込まれた作品だと偏見を持っていた。

で、観てみて意外にそういう政治的メッセージ性は希薄だな(と言っても、戦時中を描いてるんだから皆無ではない)と感じた。

むしろ、これまでの戦時中=暗黒時代という、紋切り型の戦時中の描かれ方とは一線を画したものであった。

(ネタバレになるので内容に関する記述は控える)戦時中なんだから、当然ながら辛い事や苦しい事は数多くある。

でも人間っていうのは、悲しみや苦しみだけでは生きてはいけない、そういう絶望的な状況の中にあっても喜びや楽しみを見出そうとする生き物なんだな、と観てみて感じた次第。

ただ、この作品に描かれた「戦時中」がリアルなそれなのかどうかについては、留保しておきたい。

f:id:kirokuro1013:20170103165132j:plain